2005年07月14日

橋本真也

bt-050712-2[1].jpgいやー
休暇だよ!今日はゆっくりしようっと♪
愛知日帰りはメチャメチャハードでしたよ。
帰ってきたの日付変わってたし・・・
大変勉強にはなったけどね。モチベーション上がりました!!

うう、しかし橋本真也の急死っていうのが、どうやら誤報ではない
ってのが、もう明確に分かりましたよ。
信じたくないけど、それは本当に周りの関係者が同じ気持ちなんだろうと思う・・・

橋本が死ぬなんて…40歳脳幹出血

 破壊王死す!! 人気プロレスラー橋本真也さんが11日午前10時36分、横浜市内の病院で脳幹出血で死去した。40歳の若さだった。同市内の自宅で倒れて救急車で搬送されたが、すでに心肺停止の状態だった。橋本さんは84年4月、新日本プロレスに入門し、同期の蝶野正洋(41)武藤敬司(42)と闘魂三銃士として人気を集めた。00年11月には新団体ゼロワンを旗揚げしたが、団体経営と右肩痛に苦しんで昨年11月、活動停止を発表。長期休養からフリーとして復活に備えていた矢先の急死だった。岐阜県出身。

 突然すぎる死だった。11日朝、橋本さんは横浜市内の自宅で倒れた。救急車で南区の市立大付属市民総合センターに搬送されたが、すでに心肺停止の状態だった。午前10時36分、脳幹出血のため、帰らぬ人となってしまった。関係者には「今秋にはリングに戻りたい」と右肩痛からの復活に強い意欲をみせていたが、リングに戻らぬまま他界…。無言でプロレス界に別れを告げた。今月3日に40歳を迎えたばかり。あまりにも早すぎる死だった。

 この日夜に横浜市内で会見した橋本さんの代理人、伊藤博弁護士は以前から不整脈を訴えていたことを明かした。母與志江さん(享年50)も橋本さんが16歳の時、同じ病気で倒れて亡くなっており、家系的に高血圧の症状があった。喪主を務める妹真生(まき)さんは「調子が良くないと聞いていて、心配していました。心筋梗塞(こうそく)の疑いがあるので診察してもらうと言っていたのですが…」と言葉を詰まらせた。

 不運な出来事も重なった。昨年12月に手術した右肩は回復に向かい、リハビリを再開していた。しかし今度はひざ痛に苦しみ、最終的には不整脈が体をむしばんだ。今年3月25日にはかずみ夫人との離婚が成立。橋本さんの十年来の友人となる石田克史さんは「新日本時代はケガに強かったのに。悪いことばかりが重なった」と肩を落とした。昨年11月に団体経営の悪化を理由にゼロワンの活動停止を発表したが、数億円といわれる負債は残っている。伊藤弁護士とともに代理人を務める稲垣隆一弁護士は「本人は負債の完済を目標としていた。法的整理も本人が嫌がった。誠意を尽くして完済するためにレスラーとして復帰したいと話していた」と橋本さんの無念さを代弁した。

 一時代を築いた人気レスラーだった。84年に入門した新日本で猪木イズムを受け継ぎ、自ら「闘魂伝承」を背負った。けさ斬りチョップ、太い両足から繰り出す豪快なキック、体重135キロの巨体から見舞った垂直落下式DDTでファンを熱狂させた。戦いは常に真っ向勝負。プロレスの醍醐味(だいごみ)、強さを表現してきた。90年以降は新日本のメーン戦士に成長した。当時、新日本が飛躍を目指して東京ドーム興行で勝負に出た時期。橋本さんのすさまじいファイトがドーム興行を軌道に乗せた。プロレスをメジャー競技に押し上げた立役者だった。IWGP戦の死闘、小川との遺恨戦で世間を夢中にさせた破壊王。プロレス界の枠を超えた人気を誇っていた橋本さんは、もうリングに戻ってこない。


こういう記事を読むと本当につらい・・・
橋本真也の試合は何度となす見てきた。
魂に響くような試合が多かった。
立ち上がる時の形相は凄かった。
一発逆転の垂直落下式DDT。見た目、威力ともあの巨体から繰り出される大技に
勝るものも無いだろう。
水面蹴りの速さも、信じられないぐらい早かった。
それだけ強い破壊王なのに、いつもどこかに
みんなに慕われるような隙があった。
そんな彼は非常に魅力的だった。
三銃士の若手の頃から、なんだかおちゃめで、いたずら小僧がそのまま大きくなったような
そんなブッチャーだった。
信じたくない。忘れたくない。ご冥福をお祈りいたします。





ココにみんなの声を挙げよう・・・

武藤バカ野郎しか出てこねえよ。人生50年とよく言ってたけど、それよりも10年早いじゃねえか」と目に涙を浮かべた。「自分も泣きたいことがある。本当は語り合いたかった。破壊王、自分が破壊されてどうすんだよ」

蝶野正洋は「本当に残念だね。ただ、本人がエンジョイできた人生であればよかったと思う。太く短く生きると言っているのを聞いていたから」「リング復帰をさせてやれなくて残念…。真っすぐで、妥協をしないレスラーらしいレスラーだった」「三銃士興行を実現したかった…。プロレス界の起爆剤にできず悔しい」

小川直也「あまりに突然で信じられない。この目で確かめるまでは信じたくない」と絞り出すように言った。「訃報を聞いて携帯に電話した。(呼び出し音が)鳴ったんだけど…」と続けると両目に涙があふれ「何が何だかさっぱりわからない」と現実を受け入れられない様子だった。



天山「ビッグカムバックを期待していた。自分の結婚式にとんでもないビデオレターを送ってくれたことがいい思い出です」

小島じっと両手を見詰めながら「残念としか言えません」と絞り出した。最後に投げ掛けた言葉を聞かれると「まだ最後だと思いたくありません」と肩を落とした。

高岩も「心に穴が開いちゃった感じ。寂しいね。つらい。目が開く気がしたんだけどね。でも、どうしちゃったのか、いつもより顔が白いんだ…」

大谷 「まだ信じられない。眠っているだけにしか見えなかった。…ご冥福をお祈りするとしか言いようがないだろ」

川田「いいことも悪いことも、レスラーらしさを持つ貴重な人がいなくなった。寂しいし、プロレス界にも大きな損失だ」

飯塚は「まだ信じられない。ゆっくり休んでくださいとしか言いようがない」

馳浩は、「20年以上の付き合いだけど、まさかこんなに突然に…。信じられないよ」

大仁田厚「(橋本選手は)プロレス界の構造改革の担い手だった。低迷するプロレス界の改革を進めるために、本当に重要な人だった。何で今なのかなぁ」

坂口征二相談役「信じられない。オレより先に逝きやがって…。橋本が結婚するとき、自分が親代わりだった」

新日本プロレスのサイモン猪木社長が公式サイトでコメントを発表した。「橋本さんのあまりにも早すぎる悲報に言葉がありません。ロスにて汗を流していた頃の橋本さんの笑顔が思い出され残念です」

ハッスルを運営する(DSE)の榊原信行社長は。「ハッスル創世記の第一人者。本当に残念。肩のケガを治してから復帰してもらえると話していたばかりだった」

古舘キャスターは「(現在のプロレスは)受け身を取りずらい技を連発するようになった。それに歓声を上げるファン。リング上は、それに応えるようにヒートアップする。彼は殉職だと思います」






橋本について知らない人はこちらを

橋本さんは1965年(昭和40年)7月3日、岐阜県土岐市生まれ。柔道で活躍し、84年4月に新日本プロレスに入門した。同9月1日、後藤達俊戦でデビュー。89年から武藤敬司、蝶野正洋と闘魂三銃士として人気を集めた。

 93年9月、94年5月にIWGP王座を獲得。98年にはG1クライマックスを制覇するなど、身長183センチ、体重130キロの体格を生かした破壊力抜群の蹴り、チョップで時代を築いた。99年1月に小川直也に敗れ引退を表明するも、ファンからの強い要望で同10月の藤波辰爾戦で復帰した。しかし、新日本と対立し、同11月に解雇され、ゼロワンを創設し、01年3月に旗揚げ戦を行った。

 以降は、全日本、ノアなどの他団体と積極的に交流し、団体の枠を越えた戦いを次々と演出した。03年2月にはグレート・ムタを破り、全日本の3冠王座を奪取、小川とはOH砲としてコンビを結成しゼロワン、全日本、ハッスルなどで共闘した。

 藤原喜明と保持するNWAインターコンチネンタルタッグ王座をかけ、大谷晋二郎と大森隆男組と対戦した04年8月31日ゼロワン盛岡大会が最後の試合となった。

ナルシストそしてロマンチストだった橋本
 豪快な男だった。同郷の偉人・織田信長の生きざまに心酔し「破壊なくして創造なし」が口癖だった。プロレス界の垣根や常識を、あの巨体を揺らし、憎めない笑顔を振りまいて、本当に壊して歩いた。後先を考えず、いつも感情で行動する姿は、生年月日が1日違いのサラリーマン記者には、まぶしかった。敵も多かった、と思う。でも、間違いなく誰からも愛されたプロレスラーだった。

 ナルシストだった。リング上のコスチュームから、殴る蹴る形、攻められる時の表情やマイクアピールのセリフにまで、こだわった。01年10月、NWA王座挑戦のため滞在していたフロリダのホテルで「太く短くの人生でいい。でも、オレは絶対に天下を取る」と真顔で言われた。闘魂三銃士、そしてIWGP王者として猪木後の新日本黄金期に君臨したヒーローは、新世紀に独立起業した新団体での成功も確信していた。しかし、自らの言行に起因するその後のゼロワンのお家騒動、そして右肩のケガからの長期欠場。どんなにか、無念だっただろう。

 ロマンチストでもあった。「悪いけど、ちょっと便せんと筆ペン買ってきてよ」。天下の破壊王からの変なリクエストに、首をかしげながら、成田空港の売店に走った日のことを覚えている。外国人選手発掘のため、米国に旅立つ直前、ノア三沢社長にこんなしゃれたラブレター? を書いた。「永き冬の雪とけて、桜も舞った春も去り、今は梅雨に忍ぶれど、真の晴天来るように、夏の花火を打ち上げましょう」。もう1度、橋本真也のでっかい打ち上げ花火が見たかった。
posted by Daru at 10:07| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 格闘技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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